故 角出総一郎社長の葬儀を角出物産株式会社の
社葬として執り行うにあたりまして、
弊社を代表して一言ご挨拶を申し上げます。
本日はお忙しい中をお集り頂きましてありがとうございました。
こうして沢山の皆様にお集りいただき、故人もさぞ喜んでいることと
思います。息子の私から見ましても、父は豪放磊落、
そして何よりも人を楽しませることが大好きでした。
父は昭和□□年に、6人兄弟の末っ子として
京都市で生まれました。経済的な事情から大学への
進学は叶いませんでしたが、生涯にわたって付き合える仲間と
素晴しい恩師には恵まれたようです。
もともと手先が器用だった父が最初に就職した
先は繊維関係の町工場でした。
日本は高度経済成長の時代を迎え、最初は右肩上がりの
業績でしたが、その後繊維産業は一つの曲り角を迎えて
次第に淘汰されていきました。
昭和□□年、父の会社もついに倒産し、次の仕事に
就けない時期が1年以上続いたそうです。その時に父を
支えてくれたのが学生時代の友人たちと恩師の先生でした。
繊維会社時代に得た知識と技術を活かして
中古の機械を改造し、仲間たちの温かい出資を得てわずか
3人で小さな部品を作る仕事を始めました。
「お金は無くても知恵は出る」が父のモットーでした。
私もつい最近知ったのですが、当初は学生時代の友人の
実家で古い倉の一部を借りて創業したそうです。
どんな仕事でも断らずに引き受け、限られた機械や部品を工夫し、
応用し、転用して対応しているうちに、 いつの間にか
「少量多品種製造。どんなものでもいくつからでも作ります」
が弊社のキャッチコピーとなりました。
それから○○年。「角出さんに頼めば何とかなる。」
と言っていただけるようになりました。そして同時に
長年培われた正確な仕上がりと歩留まりの高さは弊社の
信用を支える大切な宝物となっています。目の前には
この業界の厳しい競走原理があり、原材料メーカーは
値引きばかりを迫られる中で、安定した業績を培って
くることができました。
あいにく○○年からは○○○を患い闘病生活を続けておりましたが、
父の関心事はいつも会社のことばかりで、本当に会社に心血を注いで
来たのだとしみじみ思っておりました。
こうして別れの時を迎え、私たち家族も大きな喪失感を感じて
おりますが、父の志を胸に刻み、残された私たちがこの会社の
個性を活かし、将来へと引き継いでいくことこそが、
父が皆様に頂いたご恩に報いる恩返しだと思っております。
私自身、父の後を継いで2年。まだまだ至らぬ点ばかり
でございますが、皆様にご指導を頂きながら一日も早く
故人の志を形にして参りたいと思っております。
何卒ご指導ご鞭撻の程、宜しくお願い申し上げます。 |